龍神様に導かれて出会った「龍体文字」
この人生、私が「私」として生きたことは殆どありませんでした。
今でいうところのHSPという気質を持っていた私。子供の頃から人の感情が感覚的にわかっていたように思います。
周りの感情を心臓に「ドンッ」と大きなダンベルが落ちてきたのかと思うほどの衝撃で感じていたため本当に苦しかった…
ただ、悩みはそれだけではありませんでした。

あまりの「生きづらさ」から解放されたくて模索し続けてきた私。
どのように生きづらかったのかと言いますと、
ハッと気づけばみんなが怒っている、そんな状況の中を生きてきました。
ハッと気づくのは、いつも相手が怒った瞬間。
「私」という意識が戻る前に何かをやらかしているようで
「ミチヨちゃんひどいわ!」
え…?
目の前の人は物凄い剣幕で怒っている。
何をしたのかわからない。どうしよう。
とにかく相手の機嫌を取るために必死でした。
人格が変わっていても見た目が私なので誰もそれに気づくこともなく、怒られ誤解される日々でした。
私としては、人格が変わっている時の記憶も感覚もなかったため、まさかそんなことになっているなんて自覚することもできず、自分を責め続ける日々。
ある時は小学校のクラスのど真ん中、生徒全員が静まり返っている中、一人立たされ横で先生が怒鳴っている…
え…?
しかも私、さっきまで泣いたようで。
でもハッと気づいた時には何をしたのか、なんで泣いていたのか引継ぎもないものだからわからない。だから続けて泣くこともできず…結局、連絡帳に書かれて家に帰って母に怒られる始末。
このような状態が続き、いつの間にか
「全部私が悪いんだ」
という観念に出来上がっていきました。
高校時代には、周りの人達が
「薬剤師になりたい」「アナウンサーになりたい」
と将来の夢を語り始めた頃、私には先のことを考える余裕なんてなく
「目の前の人の機嫌を損ねたくない」
「罪悪感なく呼吸をしてみたい」
ただそれだけを願って生きていました。いや、必死すぎてそういう望みを持つことさえ難しかったように思います。
大学の頃も、気づけば仲が良かった先生が目も合わせてくれなくなっており、その先生とその旦那さんの先生(夫婦とも同じ大学講師)の両方の単位を落とされていたことも。
そんな学生時代をなんとか生き抜き、
見た目は私、中身が時々違う人になっていたと知ったのは20代後半になってからでした。

模索し続ける日々のはじまり
「憑依体質やな」
高野山の修行僧であり霊能者でもある阿闍梨(高僧)に出会った時に言われた言葉。
憑依体質?何それ?
しかも「今までワシが見た中で一番因縁深い」
と言うではありませんか。
じゃあ今まで知っている中で酷い因縁だったのはどんなの?と聞くと
「夜中にな、日本人形が徘徊する家」
ええ~!それ、ただのホラーやん!!
私、怖い話苦手だし絶対に無理。
だけどそれとは比にならないほどに私の因縁が酷いというのです。
一体私の人生はどうなっているのか。
謎は深まるばかり。
そこまで言われるほどの実感もないし、だけど生きづらいことは確かでした。
このころから私の内観と自己追究が始まり、そこから心理カウンセリングには10年以上、リーディング・ヒーリング・ボディーワーク・宇宙意識・物理学・霊能者・阿闍梨のお祓い13年などなど、あらゆることを試し、検証し気づきを重ねてきました。投じた資金は高級外車3台分くらい。
途中、憑依体質とやらが激烈に酷くなり、日本の神様たちが私を通して話をするようになったりしたお話はまたそのうち気が向けば書きますが、今考えても「本当の話だったのかな」と思うような体験を山ほどいたしました。
平安時代の前世が出てきた時は丸一年間、彼女が私として「平成」時代を生きました。気づけば年月が経っており、ある時鏡を見た瞬間
玉手箱ってあるんだ~
しかも確実に開けてるよね。
と自分の容姿に相当驚いたことも。浦島太郎と親友になれるのではないかと思うほどに私の人生には私がいませんでした。
何をやっても全てが裏目にでる。精神的苦しみは増す一方。毎日憑依され発狂してはお祓いをしてもらい、取れればグッタリと抜け殻のようになる…
この繰り返し。
30歳から10年以上もの間、
漆黒の闇の中にある「底なし沼」の中でもがくような日々を過ごしました。
毎朝起きた瞬間「死にたい」という言葉がよぎりました。
それって今思うとそれだけ私が生きたかったのだと思うんですよね。だから諦めませんでした。
いや、何度も諦めかけたのですが、そんな時は不思議なことにハラからの声というのでしょうか。
ぜっっったいに諦めない!!!
という物凄く大きな声にハッとし、また昼夜なく気づきを深め続けたのでした。
私だけではどうにもならないため多くの方のお力をおかりました。
リーディングやヒーラーさん達、霊能者に視てもらいました。前世で何があったかを知っても楽になることはなく、
「13年も見てもらって全く良くなっていないなんて大した霊能者じゃないわ」
と阿闍梨のことを批判した霊能者達も私の中に存在しているものを解決させることはできませんでした。ヒーラーさんも「それには触れられない」と。
そうして15年経った頃、HSPという言葉が世にではじめたおかげで
自分の気質がその中のエンパスだったということを知ったのです。
「憑依される」と思っていた時は受け身で被害者意識が大きかったのですが、エンパスの「共感してしまう」という視点を持ったことで、自分でコントロールできるということがわかったのです。
そして、最終的には自力でその状態から脱出し、私が私となりようやく心身ともに生きづらさから解放されたのです。
ずっと求めていた心地よい感覚。やっと地上に立つことができた。「自分」という感覚。
感情に憑依されることがないなんて感動!みんな、こんなに楽な感覚で生きているの?!
知らなかった!可能性しかないじゃないの!
心地よい幸福感。私の体を別の人格が使うこともなく平和な時間を過ごすことができる!
そう思ったのもつかの間…

龍神様との出会い
やっと自分の人生が始まると穏やかな希望と共に生活し始めた頃、ふとレムリアのパワーストーンが欲しくなり、検索してみるとうちから徒歩1分のところにパワーストーン屋さんが。いつの間に…
行ってみよう。
お店の扉を開けてすぐ、出てきたマダムに言われた言葉。
「今日はとんでもないことがあると思っていたら、あなただったのね!」
ん…?
この言葉、聞いたことがある。
瞬時に思い出したのが、今からちょうど20年前
「凄く当たる占い師がいるからミチヨちゃんも行っておいで」と、友人に勧められて行った大阪本町にある船場センタービルにいた占い師。私を見るなり
「今日はとんでもないことがあると思っていたら、あなただったのね!」
そして、ああ、これは大変えらいこっちゃ、だから朝からおかしかったのね、納得だわと散々色々言われたなと。
そして目の前のマダムも同様に
「見て!私、朝からこけて右目をついたの。赤くなっているでしょ」
失明せずにすんでよかった。でも何かあると思っていたのよ。あなただったのね。
確かに。最近の私は2ヶ月ほど右目の調子が悪く真横に真っ赤に血走っていて、眼圧も高い状態ではありました。そういえば今まで見てもらったヒーラーさんも、私のセッションの時に右目が血眼のような状態になっていた時あったなと思いだしたのです。
マダムが霊視ができるとのことだったので、今後の気づきのヒントになるかもしれないと見てもらうことにしました。
とっても穏やかな口調だった方が急にハッキリとした口調になり、横にあった白龍の絵を指さし「龍神様の言葉になるときつくなるけどごめんなさいね」と言いながら
あなた、なんにも取れてないわよ。憑依されてる。
因縁もそのままだし、相当な因縁。男性とのトラブルの色情因縁もお金のトラブルも相当酷い。
そのトラブルと右目が関係しているわね…
とまあ散々ハッキリと言ってくれたではありませんか。鮮やかでした。
マダムの表現によると、どうやら私がクリアできたと思っていたのは次々と入れ替わる憑依体質だけだったようで、大元として憑依しているものは取れていないということでした。
つまり、あらゆるものに共感しまくるということからは解放されているけれど、大元のテーマは残っているということだと私は受け取りました。
そして残念なことに、今まで協力してくれた方達と同様にマダムもそれに対処することはできないとのことで、石の力を借りることを勧められました。
私は白龍さんにお礼を言い、パワーストーンを買うことにしました。
お店に入った時から気づいていたのですが、そのパワーストーン屋さんの石は珍しく全ての石達がとっても喜びに満ち溢れていました。
マダムが見立ててくれたブレスレットは「予祝」の意味があるとのことで、腕にはめると呼吸が深くなりました。それを購入すると同時に私は意図したのです。
「全部クリアして、本当の望みを現実化させる」
その数日後、白龍さんのお導きなのか「龍体文字」と不思議な出会いをすることになったのです。